最後に…
今回『Misophonian’s Sesson』のご提供へ踏み切るまでに、多くの葛藤がありました。
これまでの『美テラシー』では美容情報をお届けしてきましたが、
「自分はいったい、誰のために何を伝えたいんだろう?」という自問自答を繰り返してきました。
そもそも、私が美容に対して執着心のごとき興味を示したのも
原点を追えばミソフォニアで感じる強烈な不快感をやわらげるために、必死で取り組んだことでした。
(今でも美容は、ミソフォニアの改善に必須要素だと考えています)
私にとってはオシャレを楽しむのではなく、生きる苦痛をやわらげるために必要だったのが、美容です。
ミソフォニアの症状に苛まれると、他人を憎むのでなければおのずと自分を責めてしまいます。
自責の念で自己肯定感が枯れてしまうのを、美容に取り組むことで毎日対症療法していたのです。
そして、6歳でミソフォニアを発現した私は、あまりに無知で、無力でした。
幼すぎる自分にできたことは、嫌な音を我慢して耐え続け、ただ泣き続けることだけ。
自分の感じる、強烈に不快な感覚を周囲に伝えるすべがなかったのです。
お仕置きの厳しかった父からは、わざと嫌な音を出されたこともありました。
とくに、家族と一緒の食事は苦痛の時間で、
小学校時代は毎日鉛のように頭が重かったのを、今でも克明に思い出せます。
そのうえ思春期、鉛筆の筆記音がトリガー音になってからは
授業やテストはますます拷問のような時間に。
学ぶこと自体は好きでしたが、筆圧が強い人の近くに居るだけで
耐えがたいイライラをエンドレスで我慢し続けるハメになり、もう発狂しそうでした。
当然のことながら、人間関係もうまくいかないことが多かったです。
今の私はありとあらゆる方法を試した結果、ミソフォニアに振り回されることなく幸せに生活できています。
しかしこの「ミソフォニア」というマイノリティなハンディは、まだ世の中に認知されはじめた段階です。
事実、以前私が通院をしていた頃は、病院を変えるたびに
「音恐怖」
「音過敏」
「聴覚過敏」
「不安神経症」と、どれもしっくりこない診断結果でした。
誰に話しても、自分の感覚が理解されない。
音を出さないでくれと頼むと「神経質」「いちいちうるさい」と逆ギレされてしまう。
今考えれば当然のことで、嫌な音を出している人はただ気楽に過ごしたかっただけで、
決して悪意があったわけではありません。
それでも、限界まで辛抱した末に全否定を食らうのは、かなり神経に堪えるものがありました。
自分は間違えて産まれてきたとしか考えられず、自決を図った経験も3回あります。
こうしてどれだけ無惨な事実を語れど、今の私にとっては「過去の生々しい古傷」でしかありません。
ミソフォニアで苦しみもがいた過去があったからこそ、今の幸せを脳髄深度で実感できます。
ですが、今も同じ
「発狂寸前の苦悶」
「失意」
「矛盾」
を抱える人がいることを考えると、胸の痛みを抑えられません。
もう、自分と同じつらさを誰一人として味わってほしくないからです。
もしもミソフォニアを理解しようと向き合い続けてくれる人が居てくれれば、
過去の私はどれだけ救われたんだろうと考えます。
なので私は、あなたの感じる理不尽さや無念をありのまま受け止めて
向き合い続ける存在であろうと決意しました。
ミソフォニア歴34年の当事者であり、
克服してきた私にしか救えない人が、きっと居ると信じています。
勇気を出してぜひ一度、私のセッションを受けてみてください。