年齢を理由に「できない」は、もう一生言えないと思わされた出来事

こんばんは、美テラシーの角谷です。
何かをあたらしく始めようと思うとき、「年齢」を壁と認識する人も多いのではないでしょうか。
たしかに年齢を重ねると新しいことは頭に入ってきにくくなる傾向はありますが、それは「単なる言い訳」だと、敢えて言い切ります。
なぜかというと、私の友人のお父さん(92歳)が、ユーチューブを始めたからです。
ことの発端は、友人がいわゆる鉄道オタクの「動画撮り鉄」をやっており、私が友人にユーチューブへの投稿をすすめたことに始まります。
友人は三脚を使わない動画撮り鉄ができる人で、その実力はニュース番組に動画を「買わせてほしい」とオファーされたほど。
実際に友人が趣味で編集した、鉄道動画のダイジェスト版を鑑賞させてもらったことがあり、そのクオリティの高さに驚かされました。
至近距離で迫力のあるアングルから撮影した動画だなーと思っていたら、最後一気に引きのアングルになって、
はるか遠くの撮影地から、手ブレゼロでの撮影だったと気づく。
朝焼けの景色の中を、風情ある一両の電車が通りすぎていくワンシーン。
鉄橋の上を渡る電車と、背景を彩る打ち上げ花火のファンファーレ。
どの一コマを切り取っても、芸術的だと感じるほどの完成度でした。
ちなみに私は乗り物に全然詳しくない人間で、鉄道はおろか車種の判別方法さえわかりません。
(オートマの普通免許だけを持っている、ほぼ万年ペーパードライバーです)
つまり私は乗り物に対してさほど興味のなかった人間で、その私が見ても圧倒的な「美」と「凄み」を感じる動画でした。
素人の私が見ても商品として売れるぐらいの価値がある動画だと思ったので、ユーチューブ発信をすすめたわけです。
そして何より驚いたのが、友人の92歳になるお父さんまでもがユーチューブを「やる」と言ったことでした。
友人のお父さんはもともと自衛隊にお勤めだったそうで、飛行機を動画撮影する趣味があったそうです。
パソコンも秋葉原でパーツを購入して自作できるらしいので、友人のお父さんはスーパーおじいちゃんなのだと判明しました。
友人の乗り物好きなDNAも、お父さん譲りだったのですね。
92歳の人が、動画編集ソフトを購入して、独学でユーチューブを開始しているのに、自分が「年齢」を理由に何かを始められないと言えるでしょうか。
この事実を聞いた瞬間、私は「年齢」をやらない理由にするのは、今後いっさいやめにしようと決意しました。
実際「年齢」って、体のよい言い訳でしかないんですよね。
幼少時からチャンスを与えられる環境へ置かれていた人は、確かに恵まれていると思います。
ですが、子供が与えられた環境を当たり前だと認識していたら、親が考えているほど「環境のギフト」を大切に扱わないでしょう。
それよりは、何歳になっても学ぼうという意欲の方が重要だと思っています。
確かに年齢の影響で短期的な記憶力は落ちますから、資格取得の学習は若い時の方が有利かもしれません。
衰えていく記憶力を代用するためにこそデジタルの力を活用すべきで、デジタルの使いこなし方を深めることこそ、一生ものの学びだと考えます。
偉そうなことを言いながら、実のところ私は、3年ぐらい前までエクセルの使い方をよく知りませんでした。
この3年間でずいぶん苦手分野(IT全般)を学び、できるようになったなーと思います。
今でも新しいことを学ぶのは脳が拒もうとしますし、それを全力で払いのけて学んでますので、年齢に抗うのはやっぱり大変ですね。
学んで実践してまず失敗、見直して最初よりはうまくいってまだまだ下手、次はもう少し上達して。
92歳になる友人のお父さんには遠く及びませんが、いつも「残り時間を生きている」という意識は強く持っています。
もしも私が、1か月後に死の宣告を受けたとしたらひどく狼狽するでしょう。
それが半年後でしたら、平常心のまま死を受容できるレベルで、悔いのない生き方をしたいと思ってます。
教訓として、年齢を理由にするのは単なる言い訳。
年齢が問題になるなら、年齢の問題を何とかする知恵を絞るべき。
自分の中に知恵が足りないなら、知恵を持った人から学ぶ。
「学ぶ時間」と「よりよく生きる時間」の両方が欲しいから、時短で学ぶために大きな結果を出している人からお金を払って学ぶ。
私は幼いころから根気がなかったですし、美容師になるぐらいですから座学の勉強が好きなタイプでもありません。
今より良くしたい、という向上心だけは人一倍強い方かなと思ってます。
学ぶことを自分から止めてしまわない限り、人は何歳になっても成長できるというのが私の持論です。
今でも新しいことに挑戦するのは怖いですが、悔いなく生きるためには必要なことだと考えてます。
ではでは、本日のお話しはここまでです。