[su_box title=”美人やイケメンについてのお悩み相談” box_color=”#937e8e”]私は美人ではないと思うので、普段からきれいになりたいと思って、色々と努力はしているつもりです。現在の彼氏は一般的にイケメンとは言われない男性かもしれないですが、私は彼のことが好きです。
でもデートをしている時に美人を見かけると、彼氏の視線は自然と美人を追っているのが分かるので、なんだかやるせない気持ちになります…。
ひがむのは嫌ですが、自分が日ごろからやっているような努力が必要ない美人って、得してるよな~と思うことが多いです。やっぱり生まれながらの美人やイケメンが、何でも得をする世の中でしょうか?[/su_box]
確かに美人やイケメンの方が、人生の前半は得をすることが多いかもしれませんね。ですが、あなたの続けている努力はいずれ「資産」となりますし、人生の後半は美人・イケメン関係なく、めんどくさがり屋の負けが確定します。
今回は少しシビアなテーマですが、私は美容師という職業柄、「人の容姿」のことについては深く考えさせられることが多いので、その視点からの考察を述べてみます。
美人・イケメンで得をする7つのこと
生まれながらの美人やイケメンは、特に学生時代などの若い時に「見た目で得する恩恵」を圧倒的に受けることが出来ます。社会人になってもやはり、美人・イケメンが特をするというのは誰しも感じることではないでしょうか。
天然美人や天然イケメンは、外見が秀でていることによって多くの場面で得をします。天然美人、天然イケメンが他の人よりも得をするのは以下に挙げたような要素です。
- とにかく多数からモテる、注目される
- 幼い頃から他人に容姿を褒められることが多く、自己肯定感が上がりやすい
- 元がいいと、どんな服を着てもサマになる
- イケメンでないと決まらないセリフがある
- 美人はメイクにお金をかけなくてもきれい
- 「リア充」を満喫できる
- 美人やイケメンの方が、他人からチャンスを与えられることが多い
見た目で判断されることで美人・イケメンが勝手に損をすること
一方で外見の良さがゆえに、美人やイケメンは本人の意思や願望とは無関係に損を被ることも。美人・イケメンが見た目で判断されてしまうがゆえに損を被ることには3つあります。
- 周囲からの評価が減点方式になる
- 美人・イケメンならではの面倒事がやってくる
- 妬みの対象になる
①周囲からの評価が減点方式になる
美人やイケメンは初対面での評価点数が高くなるため、特に異性との恋愛関係では減点方式になりやすいという点で損をします。つまり「美人なのに意外と所作ががさつだな…」とか「イケメンなのに食べ方が汚いな…」など、容姿が秀でている部分とギャップのある部分でどんどんと減点されやすい傾向があるのです。
②美人・イケメンならではの面倒事がやってくる
外見の良さで注目を集めてしまいやすいと言う事は、自分にとって都合の良い事ばかりがやってくるわけではないということにもつながります。判断力の低い美人やイケメンは、周囲にいる下心のある人間や大人にうまく利用されてしまったり、異性関係のトラブル等の面倒事にも巻き込まれやすくなってしまうことも。
つまり自分が望む、望まないに関係なく降りかかってくる面倒事を上手に回避できる、「賢い美人・賢いイケメン」でないと、危険を回避できない潜在的なリスクもはらむということです。
しかも普段から他人に褒められてばかりいると気持ちが良いので、つい警戒心を緩めてしまい、トラブルに巻き込まれてしまう人も多くなる傾向が。自分の容姿そのものが商品となる芸能人やモデルさんにも同じようなことが頻繁に起こっています。
③妬みの対象になる
特に女性の場合は「同性同士で比べる」傾向が強くあるため、ちやほやされている美人は「なんであの子ばっかり…」といった妬みの対象にされやすいです。根も葉もない悪い噂を流されたりする事は、美人・イケメン本人にとっても、損な気分をする出来事に違いありません。
ブスや不細工が「顔面格差」を埋めようとする努力は無意味?
近年では顔面格差などという身も蓋もない言葉も存在し、平たく言うと顔が良い方が得をすることが多いということを揶揄している表現です。ですが、きれいじゃない人、かっこよくない人が美人やイケメンとの格差を埋めようとする努力は、決して無意味な努力ではありません。
努力の方向性が正しいのか間違っているのかは別として、「努力をする」という姿勢は素晴らしいことですし、その努力を「継続できる」ことはもっと素晴らしいことです。継続力とは「人間力」に直結するものの一つなので、必ず人間的な魅力を高めてくれるものへと昇華されます。
容姿淡麗な人にも必ずやってくる「劣化」という残酷
インターネットが普及してからの世界は「人の本音」が可視化できるようになり、大変残酷な世の中になりました。かつては日本中の女子が憧れた「浜崎あゆみ」も、最近では「劣化がひどい」とよくささやかれます。
ですが本来、「劣化」などという言葉は人間に向かって使う言葉ではないように思います。年老いて、若い時と同じ魅力は失われていくのが当たり前のことだからです。
美人やイケメンに老化の兆候が見られれば「劣化」だと噂になりますし、外見の衰えを上手にカバーできない場合、「痛々しい」と言われます。つまり、若い頃は何をやっても褒めてもらえた人が、何をしてもダメ出しをされるわけです。
きっと美人やイケメンと言われ続けた人にとって、それは受け入れがたい屈辱なのではないでしょうか。逆に若い時に華やかさがなく、ぱっとしない印象の人でも、年齢を重ねてもあまり年齢を感じさせない人、つまり「良い年の取り方をしているように見える人」の場合は高齢でも外見の評価が上がり、「憧れの存在」となる場合も。
私個人の意見としては、他人からの外見の評価など気まぐれで、この上なく身勝手なものと感じます。本来であれば、各々が自分の納得いく容姿で在れるように、自分自身と向き合って「美容」という自己投資を継続し続ければいいだけのことです。
狭い世界、狭い価値観の中で比べあって、容姿の優劣を付け合っていても、何も前向きなものは生まれないでしょう。何でもそうだと思いますが、他人の良いところは真似すれば良いですし、自分のよくないところは直せば良いのです。たとえ何歳になっても、人間とはそうやって「自己成長」していくものなのではないでしょうか。
「なんで自分ばかりが…」という考え方の行き着く先は「地獄」
70代や 80代になっても、凝り固まった固定観念で他人と自分を比べ続け、ひがんだり、優越感に浸ったりする人も存在します。このようになってしまった人はもう手の施しようがなく、自分にとって都合の悪い事は何でも「他人のせい」や「置かれている環境、境遇のせい」にするのが常識化しているのです。
愚痴や妬みの塊になり、変化することを拒み、自ら狭めた狭い視野と「ちっぽけな自尊心」だけを心の拠り所として、同じような価値観の人間同士で固まって生きる人になります。美人・イケメンなど無関係に、「なんで自分ばっかり…」という考え方を続けてしまうと、行き着く果てはその道です。
美人・イケメンとそうでない人の「価値観の違い」を生み出す要素
「性格の悪い美人」など、外見の良さと性格を結びつけて語られることはとても多い傾向。ですが、褒められることが多い人は自然と自己肯定感が高まるため、前向きな考え方になりやすいと考えるのが自然です。
逆に他人に褒められることが少なく、自己評価の低い人は、自己否定感が強くなり、考え方もネガティブになるのが自然な流れです。つまり、その「自然な流れの考え方」に本人が抗おうとしない場合、外見の良い人の方がポジティブな人になりやすく、褒められることの少ない、外見の良くない人の方がネガティブな人になる傾向があります。
とはいえ、人は自分の置かれている環境の影響を強く受けるので、本人の考え方に「軸」がない場合、周りにいる人の考え方による影響も大きいです。そうやってその人の 「当たり前」という前提や、あることに対してこう思うといった考え方、つまり「価値観」が形成されていきます。
美人・イケメンであることと性格との関連性は?
これもよく取りざたされる話題の一つですが、世の中には色々な人のいろいろな考え方があるので、容姿と性格の関連性に確かなものはないでしょう。その前提がある上で、美人・イケメンであることが性格に関連するのであれば、「美人・イケメンの方が性格が良い人が多い」と推察されます。
私が常々思うことのひとつに「あの子性格悪い」「あの人性格悪い」といった類の陰口を言う人の意味が分からないということがあります。他人のことを性格が悪いと言う人の方がよほど性格が悪いと思いますし、卑屈な考え方をする人のことを「性格が良い人」とは、常識的に考えても言わないでしょう。
少なくとも性格が良い人、優しい人とは自分目線だけではなく相手の目線も理解し、相手の気持ちも考えることが出来る人です。つまり、自分の価値観だけで他人の性格が「悪い」などという一方的なレッテルを貼らないのが「性格が良い人にとっての常識」でしょう。
そもそも、自分の価値基準でしか物事を見ることのできない人が、相手の性格を決めつけること自体、大変身勝手な行為です。たとえ誰かの評価をする場合でも、「あの人のどういう部分が嫌だ」「こういうところが気になる」と具体的に言うのであればまだ理解できます。
思考停止で「性格が悪い」などという無意味な評価を他人に下すのは、良い年をした大人が言うのは恥ずかしい言葉ではないでしょうか。そのような生産的でない考え方は、幼稚園児で終わりにした方が良いと考えています。
美人・イケメンであるなしに関係なく、美容を頑張ることで必ず得られるもの
どんな美人・イケメンにも必ず「老化」はやってくるものですが、自分自身の容姿に対して関心がある人であれば、若い時、特に20歳前後は自分の身だしなみに手をかけることに無限のモチベーションを持っています。
特に「髪の毛」のことに関しては、若い時に髪のタイリング時、鏡の前で30分以上格闘することになったとしても、良い仕上がりが得られるのでしたら特に苦痛に感じないでしょう。しかし男女問わず、ある一定の時期を境に必ず髪のスタイリングに手をかけるのが面倒だと感じるようになる傾向です。
そして、この時期以降に「ヘアケア、スタイリング、メイクアップ、体型維持」など、美容の自己管理、自己投資に対してどれだけ努力を継続できるかが大きな分かれ道となります。
同窓会がえぐりだす、時間がもたらす価値観のズレ
とても良い例が「同窓会」で、例えば中学校の時の同窓会があなたが30歳になったときに開かれたとしましょう。女性の場合はメイクアップなど、「自分をきれいに見せる方法」を習得して、まだまだ自分のことに手をかけられるモチベーションも残っている年齢のため、女性のほぼ全員が中学生当時よりもきれいになっています。
一方男性はというと、太ってしまったり、薄毛になってしまったりして、かつてのイケメンが見る影もなくなってしまっているというのは頻繁に耳にする話です。もちろんこの「面倒さ」によって外見磨きを怠ったことによる外見の格差は、年齢が上がるほどドンドンと隔たりが大きくなります。
しかも時間で変わっていく隔たりは外見だけではなく、「考え方」や「価値観」までもどんどんと隔たりが出じることに。今日を振り返り、明日はもっと良く生きようと思う毎日を続けた人と、毎日を省みず、自分のやりたいことだけをやって、必要なことでも面倒な事は一切やらないという生き方を続けた人では、外見にも幸福度にも雲泥の差が出ます。
つまり私があなたに伝えたい事は、自分自身をブラッシュアップし続けようとする行動とは、それが外見を磨くことであっても内面の問題でも、スキルの問題であっても、決して無駄になる事はないということです。全てにおいて言えることですが、毎日のほんのちょっとした行動や考え方の違いが「時間」によって大きな差を生み出します。
まとめ
美容とは自己投資なので、効果の出る方法を実践すれば期待以上のリターンを伴うものです。何かに依存するような他力本願の方法は全てにおいて良くないことですが、使えるものは上手に活用し、年齢によってどうしても落ちてしまう「美容へのモチベーション」を補うようにするのも知恵を使うという一つの努力です。
特に髪や顔の肌など、「首から上のお手入れ」に関して言えることなのですが、皮肉なことに若い人は手をかけるための無限のモチベーションを持ち合わせており、本来であればやった・やらないで大きな差が出る年齢を重ねてからの方がモチベーションが落ちてしまうという皮肉な相関性があります。
たとえ元々の素材が今の時代で良い外見だと評価される人でも、慢心したり時間との向き合い方を間違えれば、長期的には損をする人にもなりえます。忙しくても時間がなくても、これだけは絶対に手を抜かない!と美容の習慣で自分なりのこだわりを持って継続できれば、それは必ず将来の資産となるでしょう。